中野:負けず嫌いなんです。4歳くらいから水泳をやっていて、どんだけ頑張っても勝てなかった。「才能」という言葉が好きじゃなくて、「努力すればできる」というのを信じたかった。でも水泳はダメで、中学校はサッカーを始めた。でもダメで、高校はテニスも始めてみた。どの競技もある程度まではいっても、その先が見えなかった。
3つ上の兄がいましたが、急死してしまった。それをきっかけに、人ってすぐ死ぬんだなと感じて、「生きた証しを残したい」と強く思い始めました。生きた証を残すために、自分ができることが欲しかった。自分はこれができる、ということを強く感じたかった。
そこでまず、一番を目指して「一」という文字が入った一橋大学に入学しようと思った。自分の高校からはいままで入学した人がいないくらい難易度の高い大学だったし。ここに行けば取り柄になると思ったんです。
浪人した末に入学して、これで自分に自信がつくぞ、と思ったら、いざ入学すると周りも一橋生ばかり。その中ではまったく取り柄のない学生になってしまった。地元に戻ればそれなりに自信のあるふりができるかもしれないけれど、大学で4年間普通の学生として終わってしまうのは嫌だった。じゃあ、スポーツで勝負するしかないな、と。
---:それでボートにたどり着いたのですね。
中野:いままで色々してきたスポーツが役立ったのかもしれません。水泳や、サッカー、陸上で体力などはつきました。テニスのグリップワークもボートよりはずっと難しい。
あと、スポーツは大学までだと思っていたので、もうボートしかない、という精神状態で競技に臨めたのもよかったんだと思います。
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---:今後、オリンピックに向けての意気込みを教えてください。
中野:4月にアジア大陸予選があり、そこで3位以内に入ったらリオ五輪の出場権が獲れます。そこで1位にならないと、ボート競技は欧米やオーストラリアの競技なので五輪では戦えないです。
最近、フランスの金メダリストが来て「こういう風にやって」と教えてくれたので、新しい変化があるんだろうと一生懸命取り組んでいます。
---:最終的な目標は何ですか?
中野:東京オリンピックですね。その時は32歳です。ボートの競技年齢は32~33歳で、マラソン選手とほぼ同じ。
ボート選手が、ボートの説明を他の人たちにしなくてもいい状態までボートの知名度を上げていきたい。噂ではオリンピックに派遣した最初の大会から、メダルを今まで獲っていない。一番メダルを獲っていない競技かもしれない。最初のメダリストになれるように頑張りたいです。