「直接感謝の気持ちを言うことは今まであまりなかったので、リオ(五輪)の前にこういう機会があってよかったです」と石川選手。
コーチ兼母として娘に接していた母・久美さんとの思い出を、「試合前など、学校から帰ったらすぐ練習でなかなか友達と遊べなかった。一日くらいいいじゃん、と当時思うこともあった。その一日の積み重ねが今につながっている」と振り返った。
「諦めないで最後まで頑張ること。苦しくても自分からは諦めないこと。挨拶や返事をしっかりするように言われていた」
母・久美さんから学んだことはしっかりと今も心に刻まれている。石川選手は今だからこそわかる母親の苦労をしみじみと語る。
「お母さんも怒りたくて怒っていたわけではない。子どものことを想って注意している。それだけ大事にされていたんだなぁ、と」
司会の松岡修造さんは、「羨ましいですよ、この関係。親は子に対して感情が入ってしまいますから、強制的にやらせてしまう。でも、そういうところないですものね。佳純さんは明るいですし。お母さんの育て方、触れ合い方が良かったのだと思う」と親娘の関係を羨んだ。
ロンドン五輪の団体戦で石川選手が銀メダルを獲得した時、「こんなもんじゃないんだよ佳純さんは!」と母・久美さんに激励した経験もあるという。
石川選手はマイクに向かい、感謝の気持ちを母・久美さんに直接伝えた。
「ママいつもありがとう。小学3年生の時、家に卓球台を建ててくれなかったら今の私はありませんでした。リオ頑張ります!ありがとう!」
#石川佳純 さん #母の日 にお母さんに向けてメッセージ pic.twitter.com/j0rn9bzd6x
— CYCLE-やわらかスポーツ (@cyclestyle_net) 2016年5月8日
「卓球を始めた時から成長をずっと見守ってくれていた。長い期間サポートしてくれて、私のことを理解してくれている存在だと感じています」と母・久美さんに対する感謝を繰り返す。
石川選手が小学校3年生の時に、石川家の1階に卓球台が導入された。母・久美さんは、「公共施設では毎日練習することがなかなかできなかった。小学2年生の時に全国大会に出た際、『小学生の中では一番になれるのではないか』と感じたので、家を新築するタイミングに合わせて一階を卓球場にした」と話す。
当時の心境を石川選手が、「卓球場を作ると聞いたときは、冗談だと思っていた。ある意味プレッシャーで、後には引けないな、と(笑)」と振り返ると報道陣から笑いが起きた。
リオデジャネイロ五輪に向けても気合は十分だ。
「練習は毎日するのは当然ですが、その中でもポジティブな気持ちを忘れずに楽しくやっていきたい。やってきたことを全て出し切りたい」