プレイオフ1回戦でケビン・ラブが肩を脱臼し、カイリー・アービングもファイナル第1戦で膝蓋骨を骨折。ビッグ3と呼ばれた男たちのうち、最後まで残ったのはレブロン・ジェームズだけだった。
獅子奮迅の活躍を見せたレブロンだが、最後は西カンファレンス王者のチーム力に屈する。頂点を目前に敗れたチームは歴史を変えることができず、またもクリーブランドには敗北の記憶と記録が刻み込まれた。
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2015年NBAファイナルで敗れて顔を覆うレブロン
■栄光から半世紀見放され続けたクリーブランド
クリーブランドはオハイオ州北東部に位置する人口40万人ほどの街だ。オハイオ州内ではコロンバスに次ぐ第2の都市とされる。この街はスポーツが盛んで北米4大プロスポーツリーグのうち、NHL(アイスホッケー)を除く3競技のチームがここを本拠地としている。
NFL(アメリカンフットボール)のブラウンズ、MLB(野球)のインディアンス、そしてNBA(バスケットボール)のキャバリアーズだ。しかし、この街のチームがチャンピオンになったのは1964年にブラウンズがNFLを制したのが最後。半世紀も栄冠から遠ざかっていた。
1990年代にはインディアンスが2度ワールドシリーズに出場したが敗退、キャバリアーズも2007年に初めてNBAファイナル出場を果たすが敗退。これだけスポーツに力と情熱を注ぎながら、クリーブランドは栄冠をつかむことができないでいた。
■王の帰還で優勝への期待が高まるも…
後にクリーブランドの救世主になる男が生まれたのは1984年12月30日、場所はオハイオ州北東部にあるアクロン・ジェネラル・メディカル・センターだった。レブロンと名付けられた少年は成長するとバスケットボールに才能を見せ始め、高校生のときにはすでに全米のファンに知られる存在となっていた。
高校卒業後は大学に進学せずプロ入り、18歳の若さでキャバリアーズから全体1位指名を受けた。プロ入り前の期待そのまま順調に成長したレブロンは2009年、2010年に2年連続シーズンMVPを獲得。NBAのスーパースターとなるが、チームはファイナルを制することができなかった。
タイトルを切望するレブロンはフリーエージェントになった2010年、マイアミ・ヒートに移籍する。地元の英雄は一転して裏切り者と呼ばれ、彼のユニフォームを燃やすファンも出現。
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2013年はマイアミ・ヒートのNBAファイナル連覇に貢献
ヒートに移籍したレブロンは2012年、2013年のファイナルを連覇。悲願の優勝を成し遂げるが、彼の心の中には常にクリーブランドへの想いがあった。初優勝後のインタビューでは、「クリーブランドで優勝できたらどれだけ素晴らしいか」と話している。
その目標を達成するためレブロンは2014-15シーズンの前に、キャバリアーズ復帰を決断する。レブロン流出後に成績が低迷していたキャバリアーズも、彼の復帰に合わせ選手補強を行った。レブロン、アービング、ラブの3名を中心とした布陣はクリーブランドの歴史を変えられると期待してシーズンに臨んだ。
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