7月14日のフランス革命記念日を合図にフランスはバカンスシーズンとなるが、A7高速は地中海に向かうクルマで大渋滞となる。その日が週末だったり、さらに近くをツール・ド・フランスが走ったりするときは数時間で1ミリも動かないなんてことも。1日分の食料と水、エアコンが稼働できるガソリンがたっぷりないと、死の恐怖を覚えるだろう。
こんがりと日焼けすることをフランス人は「ブロンゼ=ブロンズ色になる」といって喜んでいた。特にパリっ子たちは優雅な地中海でバカンスを過ごしたという証明になるので、かつては争うように日焼けをした。ところが最近の紫外線の強さに警戒感を持ったのか、ブロンゼは次第に敬遠されるようになった。ツール・ド・フランスに出場する選手たちも日焼け止めクリームをしっかりと塗る時代である。まあ、こちらのほうは疲労を低減させるという意味もあるのだが。
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プロバンスのモンバントゥーを望みながらの朝食
第14ステージはA7高速沿いにあるモンテリマールをスタートした。人々の会話も聞こえないほどセミ時雨が響き渡るプロバンスだ。この町には悠々と流れるローヌ川沿いに原子力発電所がある。巨大な建造物から水蒸気がもくもくと吹き出している。20年前と変わらない光景はそのくらいで、街道筋の安宿は次々に廃業し、高速インター近くにエアコン完備の快適ホテルが林立する。
ローマ時代の円形闘技場が残るオランジュもこの高速沿い。その歴史的遺物の一部を改築して営業しているホテルに泊まったことがある。夜間に門扉を閉じるガレージつきに宿泊しないと、車上荒らしも多いのだ。一緒に泊まった人が「あ、ここは出るね」とポツリ。なんのことかと思っていると、「そこの扉を開けてごらん。中世の亡霊の笑い声がする」。
イヤイヤながら扉を開けると人の声が聞こえるような気がした。その日は余計なものを見ないようにまぶたをギュッと閉じてベッドに横になったが、当然のように一睡もできなかった。
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のんびりとした県道。ツール・ド・フランスは片側一車線のこんな道を使うことが多い
悪いことばかりではない。どこの町だったか覚えていないのだが、クルマでスラム街にまぎれ込んでしまった。汚れた服装をした子どもたちが窓ガラス越しにボクの顔をうかがっているのがわかる。道に迷った東洋人が不安げに運転しているのはバレバレだ。
「どこに行くのさ?」と小学校高学年くらいの女のコがクルマのドアに片ヒジをついてきた。
「A7高速の入口」と答えると、「そうなの。ムッシュー、着いて来なよ!」と近くにいた男のコの原付バイクを使ってボクのクルマを先導してくれた。A7高速入口で進行方向を指さす彼女に、お礼としていくら渡すべきかなとマゴマゴしていたら、とびっきりのウインクを決めて風のように走り去ってしまった。カーナビなんてなかった時代である。
暑さと大渋滞のこのエリアをなんとかしのげば気持ちいい空気が満喫できるアルプスへ行ける。まるで天国と地獄。年に2日ほどのバカンスを満喫するために、今年もA7高速をそそくさと北上する。