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【THE REAL】ファジアーノ岡山・矢島慎也が手倉森ジャパンにもたらす輝き…J2の舞台で磨かれた心技体

オピニオン コラム
矢島慎也 参考画像(2016年1月30日)
矢島慎也 参考画像(2016年1月30日) 全 7 枚 拡大写真
U-23南アフリカ代表戦でも「10」番を背負った。チームが立ち上げられたときから中島の定番となってきたが、右ひざのじん帯を痛めて長期離脱を強いられていたこともあり、5月のガーナA代表戦から矢島に託されていた。

そのガーナA代表戦で、矢島は2ゴールをあげている。成長の跡を認めたからこそ、チームを率いる手倉森誠監督は背番号を変えず、U-23南アフリカ代表戦で復帰した中島には「13」番を与えた。

「いまは矢島のほうがふさわしい。(中島)翔哉には“自分で奪い返せ”と言いたい」

指揮官の檄に応える形で、中島はU-23南アフリカ代表戦で2ゴールをゲット。本大会に臨む代表メンバー18人のなかに名前を連ねたうえで、背番号「10」を取り戻した。


矢島慎也 (c) Getty Images

最終的に「9」番を与えられた矢島は、「見た感じだと、僕が何だか(翔哉の)噛ませ犬になったみたいなんですけど」と苦笑いしながらこう続ける。

「翔哉がこの世代を引っ張ってきたわけだし、僕としては翔哉が『10』番でいいと思いますよ。僕自身、もともとつけたかったわけじゃないですけど、テグさん(手倉森監督)が『10』番を託してくれたおかけで、自分もさらに成長しなきゃいけないと思いました。

比べるのはあれですけど、日本代表の『10』番は岡山の『10』番とはまったく違うプレッシャーがあった。そのなかでゴールを奪えたし、結果を出すこともできたので、自分にとっては『10』番を背負うことは必要だったのかなと。

『9』番は(北浦和サッカースポーツ少年団でプレーしていた)小学校6年生のとき以来ですけど、そのときはボコボコ点を取っていたので縁起がいいかも。ちょっと似合わないですけどね」

■岡山からリオデジャネイロへ

ブラジルへの出発に先駆けて、7月19日と20日に千葉県内で開催された五輪代表の短期合宿に、矢島は参加していない。20日のJ2のリーグ戦が開催されたためで、ホームのシティライトスタジアムに横浜FCを迎えた一戦でファジアーノは0-1で苦杯をなめている。

ボランチとして先発し、フル出場した矢島は以前にこんな言葉を残している。

「連敗だけはしちゃいけないと思っています。まだまだここからだし、昨シーズンと比べてみんな目標を高くもっているので」

25試合を終えた段階でファジアーノは5位と、J1昇格プレーオフ圏内につけている。すでに昨シーズンの勝ち星「11」に並び、新たな歴史を打ち立てるために残り18試合を戦っていく。

そのなかで最大で5試合チームを離れることになる矢島だが、チーム創設以来、初めて代表選手をオリンピックの舞台に送り出す喜びを背中に感じている。

「岡山のサポーターは本当に優しくて、負けても拍手をしてくれる。そういうみなさんのためにも、期待されている分、リオの舞台では見せないといけない」


手倉森誠監督(左)と矢島慎也 (c) Getty Images

ファジアーノはここまで連敗なし。快進撃の続編をチームメイトに託し、ブラジルの地へ向かいながらも、矢島の心には直近の試合で痛感させられた課題が渦巻いている。

「守備におけるポジショニングがまだまだ甘いので、そこは向上させる余地があるのかなと。岡山で試合に出ていることが、自分のなかで一番変わった部分。試合に出る、出ないで相当変わることを考えれば、もっと上手くなるために、これからも自分に厳しく、意識をさらに高くもっていきたい」

高い志を抱きながらJ2の舞台で潜在能力を開花させ、2列目に加えてボランチとしても新境地を開拓。手倉森ジャパンの戦いにも幅をもたらした矢島は、おそらくはリオデジャネイロでの戦いからも新たな課題を見い出し、手土産として岡山に合流した後にさらなる飛躍への糧とするはずだ。
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《藤江直人》

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