【THE REAL】正念場で響くベテラン佐藤勇人の金言…名門ジェフ千葉をもう一度J1の舞台へ導くために
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コラム

■チーム最年長の34歳、ボランチ・佐藤勇人
新体制で横浜FC戦へ向けて調整を積んだ4日間。3‐4で敗れた前節の清水エスパルス戦まで、8試合連続で実に合計15失点を喫していたことを受けて、長谷部監督代行は守備の再構築から着手した。
「チーム全体が少し引き気味になってしまったところが、私の反省点です。守備の意識は非常に高かった。つまり、意識が高いから引きすぎたと受け止めています」
チーム全体が引きすぎれば、その分、相手へスペースを与えてしまう。味方の人数が足りているという安心感が「誰かが行ってくれる」という慢心に近い思いを生み、相手へのプレッシャーを甘くしてしまう。
守らなきゃという思いが強すぎたあまりに、ペナルティーエリア付近まで相手のボランチ佐藤が攻め上がることを許し、ほぼフリーの状態から利き足とは逆の左足から強烈なシュートを決められてしまった。
後半こそ前目に比重を置き、決定的な場面も作ったが、ゴールは遠かった。3戦連続で勝ち星なし。直近の9試合で1勝3分け5敗という泥沼にも、チーム最年長の34歳、ボランチ・佐藤勇人は努めて前を向く。
「守備の意識づけのところが強すぎたというところでは、自分もそうだったと思う。それでも守備は絶対に大事だし、続けていかなきゃいけない。失点をゼロに抑えられれば負けることはないし、少しずつだけど得点も取れてきている状態なので。(中盤の)守備は自分の特徴でもあるし、前へアプローチしていく部分も含めて、自分のなかでもっと整理してやっていきたい」
二卵性双生児の弟・寿人とともに、佐藤は2000シーズンにジェフ市原(当時)のユースから昇格。サンフレッチェ広島の森崎和幸・浩司とともに、史上初の双子Jリーガーとして話題を集めた。
寿人は出場機会を求めてセレッソ大阪、ベガルタ仙台、いま現在のサンフレッチェと移籍を繰り返した。対照的に勇人は、ジュニアユースから心技体を磨いたジェフでのプレーにこだわった。
のちに日本代表監督を務める、イビチャ・オシム氏に率いられた黄金時代も経験。2003シーズンはJ1で年間総合3位に入り、2005シーズンにはチームの初タイトルとなるナビスコカップを制した。
2008シーズンから2年間は京都サンガでプレー。キャプテンも務めたが、2009シーズンの終盤戦でジェフが敗れ、J2降格が決まる瞬間をテレビ越しに見た瞬間に、心が揺らぐのを抑えきれなかった。
2年間とはいえ、ジェフを離れていたからこそ、古巣への熱い想いが募る。2010シーズンからジェフへ出戻るかたちで移籍。自身にとって初めてとなるJ2の舞台を戦いながら、J1復帰を目指してきた。
8人もの指揮官が指揮を執った2010シーズン以降の混乱期を経験してきた選手は、勇人のほかには控えキーパーの岡本昌弘しかいない。このオフには24人もの選手が退団し、歴史の担い手が激減した。
代わりに20人の選手が、ジェフのユニフォームに袖を通した。これほどの大幅な血の入れ替えは、Jリーグの歴史上でも極めて稀有だ。3シーズン目の関塚前監督は、必然的にゼロからのチーム作りを強いられた。
解任の引き金となったエスパルス戦終了時で8勝9分け8敗の9位。J1へ自動昇格できる2位・松本山雅FCとの勝ち点差は「25」に、J1昇格プレーオフ進出圏内の6位・エスパルスとのそれも「8」に開いた。
まもなくシーズンの3分の2を迎える。前田英之社長と高橋悠太GMは残り試合を考えたギリギリのタイミングと説明したが、果たして監督の交代ですべてが好転するのだろうか。
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《藤江直人》
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