なぜ『ブンデスリーガ』に観客が集まるのか…特殊なリーグ構造と歴史を紐解く
オピニオン
ボイス

ドイツにイギリスからサッカーが伝播したのは19世紀中頃。サッカーをプレーした当時の市民階級は保守的な階級観をもっていたため、スポーツによる金銭の授受を否定し、労働者をスポーツから排除する「アマチュアリズム」というイギリス生まれの思想を支持することになる。1900年に設立されたドイツサッカー連盟(DFB)にも、このアマチュアリズムは根強く残っていた。
プロ化の動きが本格化したのは戦後のこと。当初、地域連盟のプロ化の提案をDFBは拒否していたが、50年代も後半になると、有力選手の海外プロリーグへの移籍、国際大会での代表チームの低迷、金銭ではなく不動産を譲渡するなどの「すり抜け」が横行し、60年代にはプロ化に踏み切ることになる。
そのときに認められたのは、「ライセンス・フェラインから支払いを受けるライセンス選手」であった。「フェライン」とは民法21条に定められている非営利法人のことで、日本でいうNPO法人に近い。日本でドイツのサッカークラブと考えられているのは、このフェラインのことである。
50年以上も前からブンデスリーガは「フェライン」を中心とするライセンス方式でリーグを運営してきたわけである。
フェラインは共通の非営利的な目的をもつひとが7人以上集まれば容易に設立することができ、税制上の優遇処置が受けられる。設立目的も公益性があれば自由なため、スポーツに関わらず、多種多様なフェラインがドイツには存在する。
こうしたドイツのフェラインを、Jリーグはひとつのモデルとしてきたのだ。
「私がこうした話をすると、ドイツ人の話を聞きかじったひとから、『Jリーグのモデルとなったフェラインも既に商業主義化しているではないか』といった反論を受けることがあります。しかし、ドイツ人がフェラインの商業化を嘆くとき、『商業主義化していなかった(していない)フェライン』の存在が前提されているのです。日本とは全く異なる歴史的背景が存在することを、まずはしっかりと認識しなくてはなりません」
(次のページ:ブンデスリーガの歴史)
《大日方航》
≫貴重な水着ショットも披露!「もはや高校生には見えない」大人っぽい池江璃花子、沖縄・石垣島の海を満喫
≫ケンブリッジ飛鳥と滝沢カレンが似てる?リオ五輪時から密かに話題だった
≫レアル所属・中井卓大ってどんな選手?…「リアルキャプテン翼」と呼ばれた少年時代