【山口和幸の茶輪記】ピレネーならツールマレー、そしてアルプスはイゾアール峠なのである
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当時のピレネー山脈は「人を食う熊が出る」と恐れられていた時代で、とうていそこを自転車で上るとはだれも考えられなかった。この奇想天外で過酷すぎるコース設定が、ツール・ド・フランスを成功に導いた原動力ともなった。そんな勝負どころにはすぐに大観衆が詰めかけ、雌雄が決する瞬間をかたずをのんで見守るようになったのである。
もうひとつは当然、アルプスである。アルプスと言えば大観衆に埋め尽くされるラルプデュエズを思い描いてしまうが、エスパスはラルプデュエズではなく、イゾアールだ。ラルプデュエズは戦後に登場した勝負どころなのだが、100年の歴史の中ではイタリア国境に近いイゾアール峠の方が数々の名勝負が演じられた舞台だったのである。
イゾアール峠はすでに森林限界を超えていて、しかも地上のものとは思えないような独特の景観をみせる。屹立した岸壁。長年の風雪によって岩肌が崩れ落ち、極限の傾斜角で斜面を維持している。だれかが「ズザザザー!」と岩肌の秩序を乱したら、大規模な土石流が谷底まで崩落するはずだ。
ツール・ド・フランスのコースはそんな危険地域に平然とあり、間一髪の危うさで選手や観客はそこを通過しているのである。
2014ツール・ド・フランスでは第14ステージでイゾアール峠を通過する。ツール・ド・フランスの常連取材陣ならカメラを構えるのはイゾアールしかない。原稿の担当であるボクは別にイゾアールで選手の写真を撮る必要はないのだが、コース発表の直後から「このイゾアールは外せない」と思っていた。
ツール・ド・フランス取材歴は四半世紀になるが、じつはイゾアール峠で選手たちを迎えたことはなかった。原稿執筆の時間を考えると、なかなかイゾアールに足を運べなかったのだ。でもどうしてもイゾアールは見ておきたかった。ツール・ド・フランスを追い続けている記者として、「イゾアール、知りません!」なんてヘタでも言えないのだ。
その日はスタートもパスしてイゾアール峠を目指した。頂上手前の上り坂にクルマを駐められるとは考えられないので、いったん頂上を越えて下りへ。足がすくみそうな最初の第1コーナーにクルマを駐めた。先客の和田やずかカメラマンがすでにそこにいて、手ぐすねを引いて誘導してくれた。
しばらくして大前仁カメラマンと、新城幸也のフィアンセでありこの大会ではカメラマンとして帯同している飯島美和もやってきた。広大なフランスといえども常連記者はピンポイントで同じところに集まるものだ。このあたりは大会の激闘とともに情緒を追う日本人取材陣の特徴で、海外記者はこの場所は素通りしていくことが多い。
かくしてバラバラになった選手が阿修羅の形相でダウンヒルしていった。3人のカメラマンはその決定的シーンを捕らえるために数時間かけて探し当てたポイントでシャッターを押していた。ボクはそよ風を感じながら、峠の斜面でそんな取材陣や選手たちのシーンを脳裏に納めているだけでよかった。
《山口和幸》
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