パラリンピックを放送するために…銅メダルの選手が最も賞賛されたワケ
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
同社は、2008年の「車椅子バスケットボール日本選手権」を皮切りに、障がい者スポーツに取り組み始め、北京、ロンドン、ソチと夏冬合わせて3度のパラリンピックを放送。2014年に開催されたロシア・ソチでの冬季パラリンピックでは、連続放送200時間以上のうち、60時間以上を生中継で放送するなどの実績をもつ。
長年パラスポーツを放送してきたスカパー!だが、ここまですんなりと放送してこれたわけではない。放送をする上で起こった、様々な課題についてパラリンピックPJPJリーダー渡部康弘氏は語った。
スカパー!の障がい者スポーツ中継の哲学は、2008年より一貫している。それは、
・スポーツ中継として放送する
・アスリートとしてリスペクトする
この2点だ。これらの哲学に則って放送を行なうこと、すなわち、障がい者スポーツを、スポーツ中継として放送することは、どういうことなのか。そこには、健常者スポーツを放送することとは異なる感覚が要された。
「障がい者スポーツとはいえ、健常者と同じように何台かのカメラで撮影して、実況アナウンサーと解説者がつけばそれで完成するのではないか、と思っていました」
渡部氏は振り返る。いざ取り組んでみるとこれまでと同じ取り組みでは済まなかった。新しい競技に挑戦するたびに、悩みに悩んだ。
●プロフィールが、重すぎる
最初の壁となったのは、2008年、スカパー!がはじめて障がい者スポーツに取り組んだ、車椅子バスケットボール日本選手権だ。最初の中継では、選手のプロフィールを紹介することを極力避けた。
一般的に優れたスポーツ中継というのは適切な技術、戦術、戦略の解説に加えて、プレーが途切れたときなどに、選手のプロフィールを適量で、適切に伝えることだと言われている。
ただ、障がい者スポーツの場合は、プロフィールが重すぎてドキュメンタリーになってしまうという。その例を渡部氏は挙げる。
「車椅子バスケットで、京谷という元Jリーガーがいました。トップチームに上がった1ヵ月後、結婚式の衣装合わせのために出かけた途中で事故に遭いました」
「車椅子バスケの吉田選手は、震災で生き埋めになり、助け出された2年後のバレンタインデーの日、恋人とドライブしていた際に事故に遭いました。恋人は亡くなってしまい、自分は車椅子生活になりました」
上記のようなエピソードが少なくなく、それを全て説明することは「重すぎた」という。そこでスカパー!は、「迷ったらこの手のプロフィールは一切言わなくていい。試合で起こっている出来事だけを実況してくれ」とアナウンサーに伝えた。
このときは、こうした実況が障がい者スポーツの中継に適していると判断したスカパー!だったが、後に、それが間違いだったと気づいた。
「我々スタッフは勝手に自分の中で壁をつくったり、思い込んだりして、無意識のうちに選手たちを、『障がい者』だと認識していたことに気づきました。選手たちはとっくに自身の運命を乗り越えている。乗り越えていなければそもそもパラリンピックなど目指せないのだ」
選手たちの最大の悩みは、どうすればもっと強くなれるか、練習場やコーチの確保、スポンサーからどうお金を引っ張り出せばいいかなど、アスリートのそれだ。
そのことに気づいたスカパー!は、「アスリートをリスペクトする」という原点に立ち返り、その後は健常者と同じように、意識せずにプロフィールを入れるような中継をするようになっていった。
(次のページ)パラリンピックを放送するうえで悩んだこととは
《大日方航》
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